まず2月から5月の記事を紹介します。オムステッドさんが追求しているのは、カナーの時代とその前の時代にも現在と同じくらい沢山の自閉症児が存在したかという点です。
UPI (United Press International) は世界中に記事を配信しているはずですが、それがいつどの新聞に載るかは、それぞれの新聞社にある編集部の都合で決まるようで、一定しません。できるかぎり調べて正確を期すようにしていますが、日付などに矛盾がある点はご理解下さい。
"The Age of Autism" [自閉症の時代] と題される記事を読み比べてみて、連載の最初と思われるのはレオ・カナーの報告で最初の症例として挙げられているドナルド・Tさんとハンス・アスペルガーの報告で最初の症例として挙げられているフリッツ・Fさんに関する記事です。
ドナルドさんは、米国でカナーが "autism" (自閉症) と名づけ、1943年に発表した症例の第1号、フリッツさんはオーストリアでアスペルガーが "Autistic" (自閉的) と名づけ、1944年に発表した症例の第1号です。二人の精神医学者は、大西洋をはさんでそれぞれが似通った症候群を発見したことに気づいていませんでしたが。報告された子どもたちの風変わりな行動は独特なもので、こういう子が存在すれば発見されないはずがないと言っていました。どう育てたら良いのか分からない両親がドナルドさんをカナーのところに連れてきたのが1938年です。カナーのばあいすでに精神医学の第1人者として沢山の子どもたちを診てきましたが、過去にこういうタイプの子どもたちと出会ったことは無かったと言っていたそうです。
どちらの報告でも、一人の例外を除いて、子どもたちの生まれた年は1931年以降です。例外とされる一人は1927年ごろの生まれと推定され、出生時に酸欠状態だったという記録があり、見た目も自閉症児に多い天使のような顔立ちからはほど遠かったとされています。つまり、現在言われるような原因不明の自閉症児は、30年代から欧米で少しずつ発見されるようになったと言えます。
43年の報告でカナーが自閉症児の共通点として挙げているのは、その行動面の特徴に加えて、父親の職業でした。11人のうちで精神科医が4人、あとは弁護士、法科大学院出身の化学者、植物病理学者、森林学の教授、法学部出身の広告コピーライター、鉱山技師、それに実業家で、11人のうち8人は人名辞典に名前が載っているという凄さです。
最初の100例までを検討すると高校を卒業している父親が96人で、その上に大卒は74人、今の米国に比べてもかなりの高学歴です。こういったデータから、遺伝の影響や、理知的で冷たい親といった仮説 (憶測) が考えられます。ただし、これでは自閉症児の多くで言葉の遅れや低い知能指数が見られることと矛盾するし、冷たい親という仮説は根拠薄弱であるとされています。
父親に比べて、母親の学歴と職業も印象的です。最初の10人のうち9人が大卒で、作家、医師、心理士、教員などがいます。当時の米国女性で大卒は3.8パーセントですから、比べれば凄い高学歴です。
ただし、100人の例を見ると、最初の10人が超高学歴の両親で、そのあとは少しずつ、さまざまな社会的階層に広がっていきます。
"Educated Guesses" という題名は「学がある人の推測」という意味ですが、初期の親たちに高学歴 (educated) が多いことも意識しているようです。
自閉症は生まれつきだとカナーは主張しており、いわゆる後発・退行型の存在を認めていませんでした。それでもカナーの症例報告に載せられている母親たちの証言を読み返すと、1歳の誕生日を過ぎてから退行したと見られる例もいくつか発見できます。
自閉症の原因は冷たい親のせいとカナーは考えていましたが、これも報告を読み直すと、子どものことを一生懸命に考えている血の通った母親像を示唆する例は少なくありません。
退行型と考えられる例では、疱瘡のワクチンを受けたあとに発熱と下痢があったとも書いてあります。第1号のドナルドさんも含めて、激しい偏食や嘔吐の例も多いです。カナー時代の自閉症も、何らかの生理的な環境因子が引き金になっていたのかもしれません。
"Backward" という題名は、過去を振り返るという意味と、退行の両方をかけているようです。
このあと連載はアーミッシュ関連が中心になり、それから水銀論争へ移り、7月末には、自閉症が激増したかどうかの賛否両論を採り上げ、8月に入って再びカナーの症例に戻ってきます。ただし、過去の資料を検討するだけでなく、新しい取材による発見もありました。