デンマークはもともと居住者の出入りが少ない小さな国で、早くから国民総背番号制が実施され、医療機関のコンピュータ利用も進んでいます。ですから、患者のカルテに基づく大規模なデータベースもあります。その中でも精神医学登録簿というデータベースを使って、自閉症に関する大がかりな調査が行なわれ、論文として発表されています。予防接種の水銀と自閉症の関係について調査した論文は、ポール・ステアグリーン博士が共著者の代表を務めている論文と、クリステーン・マドセン博士が代表を務めている論文、それにアンデルス・フヴィード博士が代表を務めている論文の三つです。このほかに、水銀は入っていませんが、別のしくみで自閉症との関係が疑われているMMRワクチンに関する調査論文もあります。
ステアグリーン論文は、乳幼児のワクチンが増えるのに伴ってカリフォルニアの自閉症も増えたと主張するマーク・ブラックシルさんの発表に対して批判を試みたものです。論文の要点は以下の三つです。
1. 乳幼児ワクチンの本数が急激に増えたのは90年代だが、カリフォルニアで自閉症の増加が始まったのは80年代。
2. スウェーデンでは90年代にチメロサールいりワクチンを全廃したが、自閉症は増えた。
3. デンマークでも90年代にチメロサールいりワクチンを全廃したが、自閉症は増えた。
80年代に自閉症が増えたのは、MMRワクチンのせいだと言っている親がいます。これについては、マドセン論文と一緒に詳しく述べます。
スウェーデンの統計は、ステアグリーン論文の中でもことわってあるんですが、入院患者としての自閉症児に限られたものです。ですから、この国全体で自閉症児が増えたのか、減ったのか、変わらなかったのかを知る手がかりとしては不充分です。論文に載っているデータによると、増えてからの発見率も、最大だった1993年で 9.2/100,000人、つまり10万人のうち9.2人、割り算すれば1万870人に一人という計算ですから、米国や日本になどに比べれば二桁低い発症率ということになります。
デンマークでは80年代にMMRワクチンを導入してから自閉症の増加が始まり、90年代には診断基準も変わり、チメロサールいりワクチンを全廃してから院外患者の登録も開始しています。結果として、登録された自閉症児が増えるのは当然です。増加した後は 8.1 cases per 10,000、つまり1万人あたり8.1人、割り算すれば1235人に一人です。これも、米国や日本などに比べればずっと少ないです。
Stehr-Green, Tull, Stellfeld, Mortenson & Simpson. (2003.) "Autism and thimerosal-containing vaccines Lack of consistent evidence for an association."
American Journal of Preventive Medicine, Volume 25, Issue 2, Pages 101-106.
マドセン論文は1970年代から2000年までの期間、デンマークの医療データベースに登録されている自閉症児の数を調べたもので、80年代の終わり頃から緩やかな増加が始まり、90年代からどんどん増え、チメロサール入りのワクチンを全廃しても増え続けています。
増加のパターンは米国などと同様だと著者たちは主張しています。ただし、この論文によると71年から2000年にかけて、この調査で確認されたデンマークの自閉症児は956人です。日本や米国に比べればずっと少ない可能性はあります。
登録された自閉症児が増えた原因として、95年から院外患者の登録を始めたこと、自閉症への注目度が上がったこと、デンマークにおける診断基準がICD-9からICD-10に変わったことが影響している可能性を、著者たちは認めています。
Madsen, Lauritsen, Pedersen, Thorsen,Plesner, Andersen & Mortensen. (2003). "Thimerosal and the Occurrence of Autism: Negative Ecological Evidence From Danish Population-Based Data." Pediatrics 112.3: pp. 604-606.
80年代の終わり頃から自閉症が増えているのは、はしか(measles)、おたふくかぜ(mumps)、風疹(rubella)のMMR三種混合ワクチンが開始された時期と合致しています。この因果関係を否定する「決定的な証拠」としてしばしば引用されるのが、おなじマドセン博士たちによって2002年に発表された論文です。この2002年論文については以下のリンクをご覧下さい。
フヴィード論文は全米医師会誌(Journal of American Medical Association、通称JAMA)の通巻290の13、2003年の10月1日に出た号に掲載されました。90年代に予防接種を受けた乳幼児に限定し、さらに詳しい分析を行なったものです。一人一人について、接種の回数から水銀の量を推定し、それを自閉症の有病率と比較して、統計的に意味のある相関は見られなかったとしています。
デンマークでこの時期に実施されていた小児用ワクチンでチメロサールが入っていたのは百日せき(DPTのP)単独ワクチンだけですから、水銀の量は混合ワクチンより少ないです。フヴィード論文や、上記のマドセン論文の中にも書いてあることですが、対象となった期間の途中で院外患者の受付も開始しており、自閉症の診断基準も変わっています。チメロサール入りのワクチンを接種していた時期の乳幼児で、古い診断基準に該当せず、入院もしなかった自閉症児は、このデータベースに載っていない可能性が高いです。
フヴィード論文によると、調査対象になった全児童の中で、百日せきのワクチンを接種したのは44万6695人、全体の95.6パーセントです。その中で、チメロサール入りのワクチンを接種したのは13万8953人です。引き算すると、チメロサールなしは30万7742です。
百日せきのワクチンを接種した子の中で、自閉症の厳密な定義に当てはまる子は407人、その中でチメロサールいりのワクチンを接種した子は104人、つまり1336人に一人です。チメロサールなしは303人、つまり1016人です。たしかに増えてはいます。
広汎性やアスペルガーなど、軽度の自閉症スペクトラムに当てはまる子は、751人です。その中で、チメロサールいりのワクチンを接種した子は321人、チメロサールなしの子は430人です。
足し算をしてみましょう。チメロサールいりのワクチンを接種した世代で、狭い意味での自閉症と広い意味での自閉症に該当する子の数は、昔の診断基準で入院したことのある例に限っても、327人に一人でした。チメロサールがワクチンから完全除去され、診断基準が変わり、院外患者の登録が始まっても、420人に一人です。
Hviid, Stellfeld, Wohlfahrt & Melbye. (2003). "Association Between Thimerosal-Containing Vaccine and Autism." JAMA 290: pp. 1763-1766.
以上、こまかいデータにこだわってデンマークでの論文を検討してみました。予防接種から水銀が完全に除去されたあと、デンマークでの自閉症児は確かに増えました。医療制度や診断基準の変更によって、確認される自閉症児の数が増えることは事実です。その一方で、デンマークの自閉症児は、増加したあとでも日本や米国の3分の1から4分の1ぐらいにとどまっているようにも見えます。
最後に、どの論文も、共著者の中に、デンマーク国立血清研究所の研究者がいることを付け加えておきます。この研究所はデンマーク語で Statens Serum Institut、英語では State Serum Institute という名前で、ワクチンを開発製造しています。今回の調査の対象になったワクチンもここで製造されたものです。自閉症の引き金になるという仮説が証明されてしまえば、過去にさかのぼって責任を取らされかねない内容です。補償金というような事態となれば莫大です。論文の中では控えめにしか書いてないので見過ごしやすいのですが、そういう立場で書かれた論文であるという前提で読むべきです。