2005年03月24日

ベッテルハイムの伝記

この書評は2002年に書いて、あるネット会議室に投稿したものです。―iRyota

自閉症の原因は親に冷たくされたトラウマ、というのが自閉症心因説です。この仮説を支持していた学者は沢山いたそうですが、これを世間に流布させるうえで最も大きな役割を演じたのが、シカゴ大学教授で大学付属のソニア・シャンクマン・オーソジェニック学校(養護学校)の校長をしていたブルーノ・ベッテルハイムです。

ベッテルハイムは、ナチスの収容所における極限状況の心理や、情緒不安定症、メルヘン研究、子育てや精神分析学の本でも有名で、日本の大学では卒業論文などでしばしば引用されます。

もともとユダヤ人としてオーストリアに生まれ、フロイトのいたウィーン大学に入学してから14年後に学位を取り、収容所生活を経験して米国に渡りました。収容所体験を基にした論文が学会誌に載って注目され、大学の名物教授だった時期にはTVの子育て番組に何度も出演し、ドキュメンタリー映画も製作され、ベッテルハイムを記念した賞も設けられ、名誉教授として華々しく引退しました。

1990年に86歳で自殺したときには、かつて虐待されたという教え子たちからの投書が沢山の新聞や雑誌に載り、世間を驚かせました(Rimland 1990)。ただし、投書した人たちのほとんどは養護学校の卒業生で、投書の内容を疑問視する人も少なくなかったようです。

今回、そのベッテルハイムの伝記を読みました。題名は The Creation of Dr. B [ドクターBの創造] です。著者は、養護学校に寄宿していた自閉症の弟さんがいて、ベッテルハイムと面会したこともあるというジャーナリストの Richard Pollak [リチャード・ポラック] さんです。

著者は、この伝記を書くために、ベッテルハイムと交流のあった200人以上の人たちに聴き取り取材を行ないました。大学時代の同僚、学生、養護学校の生徒、職員、ベッテルハイムの愛人、子どもたちからウィーン時代の家族まで含まれます。シカゴ大の学生だった人たちの中には、後に有名になったエリック・ショプラー博士もいます(pp. 413-414)。

著者が取材を始めてすぐに分かったのは、この人物が大変な虚言癖です。

ウィーン大学で14年間学んだと本人は書きましたが、実際には入学してすぐ実業学校にも並行して通い始め、実務の勉強を終えると同時に大学も中退、親から引き継いだ材木取引会社の経営に専念し、何年もたってから復学して、哲学と精神分析的手法を取り入れた美術史の論文で学位を取ったそうです。心理学や精神医学の学位ではありません。

また、このころウィーンの自宅に複数の自閉症児を預かっていたと後に本に書きましたが、実際には一人だけだそうです。その人は米国人の子どもで、今では米国で暮らしており、著者と手紙のやり取りをしています。本当に自閉症だったかどうかは非常に怪しいそうです。

ナチスに捕えられて収容所で生活したのは事実ですが、戦争が始まる前に釈放されています。あとで発表した論文の内容も、同じ時期を同じ収容所で過ごした人たちの証言と矛盾する点が沢山あります。

米国に渡ったベッテルハイムは、中西部の小さな大学で美術史の非常勤講師をしたあとシカゴ大の付属養護学校の校長になりました。これも大学の助教授として採用してもらうことを条件に、いやいやながら引き受けたそうです。

この養護学校は、情緒不安定症の子どもを専門的に治療する学校になりました。よく誤解されることですが自閉症児を専門にしていたわけではありません。受け入れには以下の条件がありました。

1. 情緒不安定
2. 正常以上の知能(IQが90以上)
3. 肉体的に健康

受け入れにあたって厳密な診断が行なわれたという証拠は全く残っていません。相当に知能の高い生徒もいて、のちにシカゴ大の教授になった人もいます。

生徒のうち自閉症児の回復率は50パーセントだと校長は主張しましたが、これも第3者に診断させたことは無かったそうです。回復率を立証する資料も残っていません。

母子分離を重視したのもこの学校の特色です。親が原因なのだから親から引き離すのが治療の第1歩だとして、小学校の年齢の子でも親元を離れて学校の寮で生活させられました。

秘密主義も特色で、生徒と若いセラピストたち、それに炊事と掃除の黒人たち以外に部外者の立ち入りを認めませんでした。特別に許可した写真家や映画製作者が立ち入って撮影したことはありましたが、普段は、親が面会に来ても校舎内の見学を許さず、心理学を専攻している大学生たちにも入いれなかったそうです。

徹底受容で有名なベッテルハイムの学校ですから、生徒の主体性を尊重し、若いセラピストは生徒に攻撃されて怖い思いをすることもありました。ただし、校長自身は生徒に対して暴力的な体罰をふるったことが何度もあるそうです。思春期の女生徒には性的な嫌がらせもあったと、かつて生徒だった女性たちは言っています。(これらの証言を疑う人もいます。)

ベッテルハイムの説く心因説では、親が本当に悪役で、ただ冷たく理知的なだけでなく、ナチスの隊員のように子どもを虐待したことになっています。これも根拠は全くありません。

論文や著書も米国の精神分析学会からは相手にされませんでしたが、小規模な学会誌に載ったり、新聞や一般雑誌の書評欄で、専門外の知識人に激賞されました。施設や学校などで自閉症児と関わっているが精神分析は専門でない、という人たちが最も影響されたようです。

彼の著作や講義の特徴はエピソード中心で、客観的なデータが無いことです。他人の発言を引用する場合でも、誰がどこで言ったことなのかを示さないので、いくらでも創作や虚偽が可能です。読む人は、文章の迫力と語りの面白さ、それにシカゴ大学教授という肩書きを見て信じたようです。(いま書いているこの文章では出典の頁をいちいち示していませんが、Pollakさんの本には詳しい索引が付いているので、この資料を読んで確かめたいかたはそちらをご覧下さい。)

学術論文ではある程度の統計的なデータが必要だったのか、いくつかの数値が載っていますが、それが凄いのです。たとえば、有名な収容所体験の論文では、1500人の収容者と個人的に知りあいになったと書いているそうです。彼が収容所にいたのは10ヶ月半ですから、割り算すると、強制労働の合間に、1日あたり5人の人と知りあいになったことになります。

引退してから書いたメルヘン研究の本には盗用が多く、そのことを丁寧に調べた学者の論文があります。

こういった調子でショッキングな暴露が続く本ですが、この伝記を書くうえで具体的にどういう資料を使ったのかは学術論文と同じように細かく示してあり、情報を提供した人たちの名前も実名で示してあります。ただし、女性の場合はプライヴァシーに配慮して、結婚前の名前で載っています。

読んでいて印象に残ったのは、ベッテルハイムを信用しなかった親たちの行動です。日本うまれのフミ・コメタニさんやキャンプヒル共同体のモリー・フィンさん、そしてリムランド博士とクララ・パークさんは、ベッテルハイムの著作に不自然さや矛盾を感じ、自分たちで答を探しました。

特に重要なのがリムランド博士とクララさん、夫のデイヴィッド・パーク博士です。

リムランド博士は過去20年間の学術データを徹底的に調べ、心因説には信頼できる根拠が無いことを1964年の著書で証明しました。この本は親たちの「レジスタンス・マニュアル」になったそうです。これに対抗してベッテルハイムが67年に出版した『うつろな砦』は新聞や一般雑誌で絶賛されましたが、根拠となる客観的データに乏しく、後にレオ・カナーから「うつろな本」とよばれました。

クララさんは『うつろな砦』と同じ67年に画期的な本を出版し、当時主流だった母子分離に対抗して、親が家庭で子どもの教育を監督する方式の実践例を示しました (Park)。青年たちに家庭で子どもの訓練をさせる方法は、ホームプログラムの先駆けと言えるでしょう。日本語版の題名は『自閉症児エリーの記録』です。

PS ベッテルハイムが校長をしていた学校では、現在、正の強化を重視しているそうです(Sonia Shankman)。



参考資料

Park, C. C. (1982). The Siege: A Family's Journey into the World of an
 Autistic Child
. Boston: Little.
Pollak, R. (1997). The Creation of Dr. B.: A Biography of Bruno
 Bettelheim
. New York: Touchstone. <www.amazon.com>
Rimland, B. (1964). Infantile Autism: The Syndrome and Its Implications
 for a Neural Theory of Behavior
. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall.
Rimland, B. (1990). "Bettelheim charges fly." ARRI: 4.4.
The Sonia Shankman Orthogenic School. (Accessed in July 2002.) "Treatment
 methods." <orthogenicschool.uchicago.edu/treatment>.
posted by iRyota at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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